戦後台湾の変遷|日本統治時代から国民党独裁政権時代へ

戦後の台湾での日本統治から国民党政権への移行についてのレポートです。連合国軍の協定に基づき、台湾は国民党政府に返還委譲されました。当時、中華民国の主席だった蒋介石から任命された陳儀が行政長官を務めることになり1945年10月24日に台北に赴きました。翌日の25日には式典が開催されて、台湾での日本統治時代は終焉しました。

蒋介石

 

戦後、台湾での国民党政権による統治の始まり

多くの台湾人が彼ら国民党が快く出迎えましたが、その当時、台湾人が抱いていた祖国復興が幻想であったことに気が付くまでに、それ程時間は掛かりませんでした。国民党政権が台湾での実権を握ることになって以降、役所では汚職が拡がり、軍隊の統治は緩み、規律がなくなり、我が物顔で一般市民の物品を取り上げていくような横暴がはびこる始末でした。

 

祖国復興は言葉による統制から始まった

陳儀は、台湾の一般市民に対して、「日本の植民地支配下で奴隷扱いされ、不公平な待遇や差別を受けていた。だが今、中国の同士として国民になった。中国の主権は国民にあるのだから、あなたたちは、日本による奴隷支配から中国の主人になったのである。」と力説しました。そして、国を治める公務員は公平な試験によって選抜すると約束しました。ところが、その試験は北京語で実施されたため、北京語が出来ない台湾人は必然的に排除されました。さらに、日本の敗戦を知った台湾人たちは、台湾学生連盟、台湾農民協会、台湾建設協会など様々なジャンルの社会団体・業界団体を結成し、自由な社会を目指しましたが、陳儀はそのような団体を一切認可しませんでした。これが新たな社会統制の始まりとなりました。

 

戦後台湾での日本人の帰還

敗戦当時、台湾には49万人ほど日本人がいたと言われています。彼ら日本人は1,000円(当時の通貨価値)までの現金とリュックサック以外のほとんど全ての財産を放棄して、台湾を去ることになったそうです。そして、1946年は日本人が残していった産業施設が政府によって接収され国営化・公営化されていきました。そして、その後、中国大陸で国共内戦が始まると、台湾の砂糖や石炭などの物資は中国大陸へ輸出されることになりました。

 

日本語と日本文化排除による統制

多くの台湾人市民の反対を押し切って、陳儀は1046年8月以降は新聞や雑誌から一切の日本語を排除しました。当時の国民党政権にとって日本語は国策に有害であり、一般の市民の中国文化の普及に悪い影響を与えるからという理由からの、日本語のみならず日本文化の排除が始まりました。

 

現代に生きる日本統治時代の台湾人

約50年間の日本統治から中国国民党独裁政権への移行プロセスは上記のようなものでした。そして、当時義務教育を日本語で受けてきた台湾人の方たち、あるいは彼らの親たちは、日本語と台湾語のみで北京語が出来ないため、苦汁を舐めることになりました。私が台湾に移住して、多くの台湾人の高齢者とお話をする機会に恵まれましたが、彼らのほとんどは日本語を忘れることなく、日本的な振る舞い、節度を持って、日本人である私に接してくれました。現在でも台湾では、同じ台湾人であっても本省人(もともと台湾に居住していた台湾人)と外省人(戦後、国共内戦以降中国大陸から台湾に移住してきた人)という区分けがされます。戦後70年という年月を経ても、歴史に刻み込まれる「台湾、日本、中国」など、多様な文化の裏側には苦しみや悲しみが隠されていることを忘れてはならないでしょう。

台湾の国際社会での孤立までのプロセス|2つの中国誕生へ

コメント

  1. 通りすがリクソン より:

    こんにちは こんな記事がありました。
    台湾桃園に「大日本帝国再建政府」、1000人を超える「臣民」
    http://www.focus-asia.com/socioeconomy/photonews/426911/

    いわゆる日本語世代ではなく、その次(子供)の世代の方々だということにも驚きました。
    日本国ではなく日本統治時代の「大日本帝国」ということなんですよねー。

    • いいぞっ より:

      コメントありがとうございます。
      「大日本帝国再建政府」ですが、台湾各地に支部があり、実は私も少しだけこの団体の方たちと交流があります。
      私は政治的な部分にはあまりタッチしていないですが、彼らの団体は国連に承認されていて、臣民証のようなカードを所有しています。
      最近、話題になっているようですね。

  2. 飛燕 より:

    70年前の台湾人は日本人です。その同胞である台湾人を10万人虐殺した蒋介石。この殺人鬼を祭っている中正紀年堂に観光に行く馬鹿な日本人。金日成の像を拝むことと同じこと。
    愚かにも日本人ブログでもここをお勧めしていますね。

    • いいぞっ より:

      コメントありがとうございます。
      日本では台湾の歴史を学ぶ機会があまりないため、台湾に暗黒の時代があったことを知っている日本人の方が少ないかもしれませんね。逆に、日本統治の時代をネガティブに受け止めている日本人も多いかもしれませんね。

      例えば、台湾には「中山」「中正」「成功」などの地名や場所が多くありますが、その意味を知らない日本人も多いのではないでしょうか。

      台湾を旅行する場合は、最低限の台湾の歴史、社会、文化の知識があると、更に台湾の奥深さが分かるはずですよね。

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