台湾の端午節で粽(ちまき)を食べドラゴンボートをする理由

台湾の5月5日は端午節という祝日で国定休日になります。

台湾と日本の端午の節句の違いと台湾の端午節の歴史についてレポートします。

台湾の「端午節」と日本の「端午の節句」は似ているようで似ていない部分が多いです。

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日本の端午の節句と言えば「こどもの日」を示す国民の休日

一般的な日本での端午の節句と言えば、5月5日に鯉のぼりを揚げて、兜や鎧の五月人形を飾り、粽(ちまき)や柏餅を食べる風習がありますね。

鯉のぼりは、元々は中国に由来する逸話から男の子の将来の立身出世を願うという意味があり、鎧は日本古来の武士社会に由来して、自分の身を守るという意味合いがあり、飾られるようです。

それでは、なぜ粽や柏餅が端午の節句で食べられるようになったのでしょうか?

まず、粽を食べるようになった由来は、中国の昔話に由来しますので、後述することにしましょう。

柏餅は、柏の木は日本では神が宿る木だという言い伝えがあるようです。

神社でお願い事をする時には拍手を打つと言いますね。

柏の木は新しい葉が出てくると古い葉が落葉するため、子孫繁栄を象徴するものとして、こどもの日に食べられていると言われています。

 

台湾での端午節でドラゴンボートレースをして粽を食べる理由

台湾の端午の節句の時期は、旧暦(農暦)5月5日になりますので、西暦では毎年5月下旬から6月上旬頃になります。

暦の違いから時期も違いますが、その他にも日本と台湾の端午の行事も異なります。

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まず、台湾でも粽を食べる習慣はありますが、台湾の粽と日本の粽では味も種類も異なります。

日本の粽と言えば、ほんのり甘いお餅ですが、台湾の粽と言えば、おこわを笹の葉でくるんだようなものになります。

ちょうど日本のおにぎりのような形式で中には豚肉や鶏肉が入っています。

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(素食の場合は肉以外のもの)

なぜ、粽を食べるようになったのか?

その由来は今から2500年位前、つまり中国の戦国時代にまで遡ります。

その当時、楚の国に大詩人であり文官でもあった「屈原」という人がおりました。

楚と秦は敵対関係にあったのですが、屈原は他国と同盟を組み秦に対向すべきだと楚の王に進言したのですが…

彼のアドバイスは受け入れられず、楚の王は秦の国王に騙されて死んでしまいました。

屈原も国を追放されることになり、失望のあまり、屈原は川に身を投げて自殺してしまったのです。

大衆から愛されていた屈原の死を慈しみ、屈原を助けようとしましたが、見つけられなかっかのです。

そのため、川の中で魚に食べられてしまわないように、太鼓を叩いて魚を追い払いながら、笹の葉に包んだ粽を川の中に投げて、屈原の身を魚に食べられないようにしたという逸話が残っています。

これが、端午節でドラゴンボートレースをして、粽を食べるようになった由来です。

ところが、ある台湾人の知人の話では、上記の屈原の逸話と端午節とは直接関係がないそうです。

というのも、屈原の時代以前に端午節という儀式的行事が存在していたとのことです。

つまり、端午節で粽を食べるようになったのは、後付けの伝承ということなのかも知れません。台湾では中秋節でBBQをするようになったことのように。

 

壮大な歴史と偉大な人物のドラマ・・・日本と台湾の違い

中国に由来する逸話が海を越えて、台湾や日本へ伝承され、2500年間もの間、崇められている「屈原」さんの市民からの愛され方は今では考えられないほどですね。

2500年以上も愛され続けている日本人がいるでしょうか?

このような歴史的な逸話や偉大な人物の逸話を超えるような物語は、今後はもはや出てこないでしょうね。

中華文化圏の端午節と日本の端午の節句の習慣にも同じような部分もあれば異なる部分もあります。

日本のお盆と台湾の清明節も同じような習慣がありながら、それらの時期が異なっていたりします。

中国から伝承される過程で、少しずつ異なる物語が出来上がって行ったのでしょうね。

 

この時期に台湾旅行をされる方は下記記事を参考にしてみてください。

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