台湾が国際社会の中で孤立するまでのプロセスについてのレポートです。
なぜ、台湾が現在、国際的に孤立した状況になっているのか?
このような疑問を持っている方もいることでしょう。今回は台湾が国際社会で孤立するまでのプロセスを、中国と台湾の関係を中心に国際連合という国際機関が大きな影響を及ばしたという点に注目して解説します。
台湾人の配偶者を持つ方は直面することですが、日本での台湾の大使館や領事館も台湾での日本の大使館や領事館も存在しないため、それぞれの外交機関として、経済文化弁事処と交流協会という形式で各国の外交業務を運営しています。
日本は台湾との国交がないため、台湾は日本政府から国として認められていません。現在でも日本のみならず、その他のほとんどの国から台湾は国として認められていません。なぜ、このように台湾は国際社会から孤立してしまったのか、をご紹介します。
国際連合と国共内戦
戦後の1945年10月、国際連合が発足しました。その時の常任理事国はアメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中国の5カ国で構成されていました。ここで言う中国は、その当時、中国大陸を統治していた中華民国でした。
その後、中華民国の国民党と共産党の国共内戦で共産党が勝利するに至り1949年10月に、北京で毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言しました。敗北した蒋介石は南京、重慶、成都などに拠点を転々と移り、最後に行き着いた土地が台湾でした。
- 中華民国:国民党・蒋介石、南京 → 台湾
- 中華人民共和国:共産党・毛沢東、北京で建国
国連での当初の2つの「中国」問題の扱い
その後、中国とアメリカの対立が増していくと、アメリカは台湾に逃れた中華民国を擁護するようになり、多くの軍隊を台湾に駐留させることになりました。
こうして、国際連合での「中国」とは大陸を制圧した中華人民共和国なのか、台湾に逃れた中華民国なのかという問題が生ずるようになりました。
ところが、中国はどちらの国なのかという問題は議題にしないというスタンスで、そのまま中華民国が中国の代表となっていました。
中華民国から中華人民共和国への国際社会の流れ
ところが、その後、中華人民共和国と国交を結ぶ国が徐々に増え始め、国連総会で何度も議論されるようになる。そんな中、アメリカなどは2つの中国の問題について「重要事項指定方式」を主張しました。
つまり、中華人民共和国の国連加盟は重要な事項のため、総会の3分の2以上の賛成が必要だとするものです。そして、1971年には国連総会では、このアメリカの主張そのものが却下されました。
そして、アルバニアなどによる中華民国追放案が過半数の賛成を得ることが確実となり、国民党政権下の中華民国は自ら国連脱退を発表するしか選択はなくなりました。その後、国際社会での中華民国(台湾)の立場は孤立することになったというわけです。
コメント
現在の北朝鮮、旧 東ドイツも国連の代表権を持っていました。
中華人民共和国が中国として、常任理事国に復帰した時、
台湾は地域名で、国連に残ることができたと言われています。
それを蒋介石総統が拒否して、中国の代表権を保持したいと
こだわり、脱退となったと聞いています。
実際はわかりません。
私の年代だと、アメリカ、日本、韓国、サウジアラビアが中国と
国交を回復させ、台湾と断交してきた記憶が鮮明です。
そのたびに、当該国との飛行機が飛ばなくなり、国民感情が
悪くなり、嫌な思いをしました。台湾をアジアの孤児と言われる方も
おられるようです。
いつもコメントありがとうございます。
台湾の歴史は非常に興味深いですね。
台湾の方に聞くと日本人にはまだまだ明かされていない部分が多くありそうです。