戦後の1949年に台湾の金門島に渡り国共内戦で金門島を防衛したと言う歴史についてのレポートです。
台湾の歴史上の事実からも消されているため、ほとんどの台湾人が知らない、戦神と呼ばれた日本人の武勇伝です。その男の名は「根本博」。
それでは、根本博という人物はどのような方なのでしょうか?
終戦時にモンゴル(当時は蒙古聯合自治政府)に駐屯していた駐蒙軍司令官として、終戦後もなお侵攻を止めないソ連軍の攻撃から、蒙古聯合自治政府内の張家口付近に滞在する邦人4万人を救った。復員後1949年、中華民国台湾へ渡り、金門島における戦いを指揮し、中共政府の中国人民解放軍を撃破。中共政府は台湾奪取による統一を断念せざるを得なくなり、今日に至る台湾の存立が決定的となった。(ウィキペディアより)
簡単におさらいしてみると、終戦後の1949年、国民党軍と中共軍との中国内戦の真っ只中、台湾の領土であった金門島に渡り、国民党軍に秘密裏に参加し、見事に金門島の戦いで勝利を収めたとのこと。
当時、日本から台湾への移動には、密航によって命を懸けて海を渡り、中国人民解放軍が金門島に上陸して来た際、根本将軍が指揮する国民党軍が人民解放軍を破り、同島を死守したそうです。
上記のような日本人である根本将軍が台湾の兵士として活躍したことは、外交上の問題もあり、何十年間もの間、日本と台湾の両国の歴史から消し去られていました。
2009年、台湾で開催された古寧頭戦役60周年式典で台湾政府も正式に金門島の戦いで日本人が関与したことを認めています。
その当時の台湾軍兵士を尋ね、根本の足跡を辿る上記の映像は金門島と根本将軍の関わりを非常に分かりやすく解説されています。ご興味のある方は是非ご覧ください。
日本人が台湾兵士として国民党の軍服を着て、台湾の領土を守ることに貢献した事実が台湾では、長い間、極秘情報として扱われていました。歴史上には、このような公表されていないため知られていない事実が、その他にも多くあるのかもしれませんね。
台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡
コメント
台中で事故を目撃し、負傷者を助けた日本人、17歳が
絶賛されています。
この前、テレビでも紹介されました。
日本人として、嬉しい限りです。
コメントありがとうございます。
外国で日本人青年が・・・勇気ある行動ですね。
この男性は17歳なのですか?自動車の運転者ではないのでしょうね。
それにしても、事故当事者でなければ、気に留めないというのはいかにも台湾らしい部分でもあります。
このような光景を台湾で何度も見ていると、事故に慣れてきている自分が少し怖いですね。
この少年は18歳で、免許取り立てての留学生でした。
留学生で自家用車を運転?と
少し不思議な気がしましたが、日本人らしい、勇気ある、
人情味のある対応で、感動しました。
交通事故の際、人を助けたいものです。