台湾の街並みを眺めていると、ある一つのことに気が付きます。
それは、地名や道路名が画一的だということです。
どういう事かというと、台湾のどの都市に行っても、同じような地名や同じような名前の道路、あるいは同じような名前の学校や公園などの公共施設が存在するということ。
そして、これらの謎は台湾の歴史にヒントがありそうだと言うことで、簡単に台湾の歴史を振り返り中で、台湾の過去と現在を結ぶ、地名や公共施設の名前について、少し深掘りして考えてみます。
そうすることで、現代の台湾社会を地名のネーミングという視点から読み解いていきます。
台湾の歴史の振り返り
台湾の歴史を紐解くと、多くの外国に支配されていたことがよく分かります。
その結果、それらの国々から多くの影響を受けてきたことが街並み、歴史的建造物、あるいは地名から分かります。
その中でも、現在の台湾社会を考察すると、最も大きな影響を受けている歴史が垣間見えます。
台湾の歴史を大雑把に区分すると、以下のようになります。
- 先史時代
- オランダ統治時代
- 鄭成功政権時代
- 清朝統治時代
- 日本統治時代
- 国民党政権時代
- 民主化以降
台湾の道路名は中国大陸の地名に由来
これは、台中市のある街の地図です。
台湾の道路名を考察した結果
道路名をよく見ると、不思議なことに気付きませんか?
- 大連
- 旅順
- 瀋陽
- 安順
- 天津
- 青島
ほんの狭いエリアだけを切り取った地図から、ざっと挙げただけでこれだけの地名があることが分かります。これらの地名は全て中国大陸の地名ですね。
台湾の地名に中国大陸の名前が付けられた背景
これは、国共内戦で国民党が共産党に敗れて多くの外省人と共に台湾に逃げ込んできたことの証でもあります。
当時、中華民国国民党は台湾国内に小さな中国を作ろうとしたため、このようなありとあらゆるところで中国大陸に由来するような地名が付けられているのです。
台湾社会を象徴する地名や施設名のネーミングと歴史上の政治家
台湾でよく目にする「成功、中山、中正、経国…」、これらの名称は何を意味するのでしょうか?
台湾の歴史をよく知っている方は、もうご存知だと思いますが、今回は台湾が意外にも独裁政権色の強い社会だ(だった)ということを紹介します。
台湾には中山大学、中山公園、成功路、中正路など、どこへ行っても同じような名前が付いた道路、地名、公園などの公的施設が多くあります。
ここからは、台湾の歴史や現在の状況を交えながら、この謎明かしをしていきましょう。
公共性の高い施設と「成功、中山、中正、経国」などの名前
台湾の公共性の高い施設名の特徴
主に台湾の公共性の高い施設などには、上記のような名称がよく使われています。
例えば、成功公園、中山公園、中正公園などや、成功路、中山路、中正路、経国路などは台湾のどの都市でも見られる道路名です。
日本で言えば、「さくら公園、さくら通り」や「寿公園、寿通り」のように、日本のどの都市にもありそうな名称に相当しそうです。
台湾では成功大学や中山大学といった有名大学にも、これらの名称が使われています。
台湾の桃園空港はかつて中正国際空港
一昔前まで、現在の台湾桃園国際空港は中正国際空港と呼称されていたことをご存知でしょうか?
民進党政権となった2006年に現在の名称に改称されました。
例えば、現在はグーグルマップ上では「台湾桃園国際機場」と表示されています。
試しにグーグルマップで「中正国際機場」で検索してみると、台湾桃園国際機場の位置が表示されました。
この「中正」とは何を意味するものなのか?
過去の政治家と社会を象徴するネーミング
台湾の歴史上の政治家の名前
さて、もうお気付きかと思いますが、台湾社会で多用されている上記の名称は歴史上の有名な政治家たちの名前です。
- 鄭成功
- 孫文(中山)
- 蒋介石(中正)
- 蒋経国
特に、孫文や蒋介石は中国大陸の南京で中華民国政府を樹立して以降、台湾島に逃れてきた国民党のリーダーたちですね。
孫文は別名として孫中山と呼ばれ、特に中国大陸では孫中山として知られています。
同じく、蒋介石も蒋中正としての名称の方がよく知られています。
歴史上の有名な政治家である鄭成功、そして中華民国を樹立した孫中山、その後、台湾で独裁政権を樹立した蒋中正や蒋経国。
彼らの名前は今でも台湾社会の至るところで目にします。
過去の名残りが現在の台湾社会に繋がるもの
過去の政治家の名前は社会の鏡
つまり、過去の独裁政権である国民党が社会を治め、その当時のリーダーが自分たちの威厳を社会に誇示するため、公共性の高い施設に自らの名前を付けたということ。
現在でも台湾社会は過去の独裁政権時代の名残りとして、多くの都市で使われているという状況です。ここまでは過去の話とその名残りです。
現在の台湾社会はどう?
それでは、現在の台湾の社会はどうなっているでしょうか?
日本人視点で台湾の社会を見ると、アレッと思う光景をよく目にします。
さすがに、馬英九に因んだ英九公園と言う名称は目にしたことがないです。
ところが、近年、新しく建設された公園などには施設名には必ず「縣長○△×」「市長○△×」などと添えられています。
誰でも見えるような場所に、大きく刻印されている市長や縣長の名前は何を意味しているのでしょうか?
市長は自分が首長であった時に税金を投入して建設した施設には自分の名前を刻印することが現在でも台湾社会の常識となっているようです。
独裁政権の名残りなのか?中華民族の国民性なのか?
日本で、このような公共性の高い施設などに政治家自らの名前を使うことは滅多に見られることではないですね。
例えば、角栄公園や角栄通りはなくても、明治公園や昭和公園、明治通りや昭和通りはあるため、政治家は国民の象徴ではないけれど、天皇陛下は国民の象徴なのでしょう。
台湾でも、国民党独裁政権がなくなり、李登輝以降の政権では自分の名前を公共施設にネーミングすることは少なくなったかもしれません。
ところが、今だに自分が首長だった時期に建設した公園などのハコモノには公園名などに付記する形で自分の名前を刻印するのは台湾独特の習慣です。
日本人の視点から見ると、未だに国民党独裁政権の名残りが抜け切れなく、政治の力を借りて個の力を誇示しようとしているようにしか見えません。
社会が成熟する中でこのような国民性が変化していくものなのか、中華民族特有の気質なのか、未だに判断しかねるところです。
コメント
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台湾時代には結構読み漁りました。司馬遼太郎の『台湾紀行』は今でもバイブル的存在です。
孫文が辛亥革命で中華民国の臨時政府を立ち上げたのが中国南京ですが、今私がその地で1年以上も働いているのは何か因縁のような気もします。
南京の中心部の大きなロータリーには『孫中山先生』の銘が有る高さ6、7mは有ろうかと言う銅像が立っています。台座を入れるとその倍は有るでしょうか。
孫文が亡くなったあとは蒋介石がそのあとを引き継いで行くんですが、この時代も歴史の『…たら、…れば』によっては、全く違う世の中になっていたんでしょうね。なんだか感慨深いものが有ります。
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コメントありがとうございます。
「郷に入れば郷に従え」ということわざがありますが、「郷に入れば郷の歴史を知れ」という造語を身にしみて感じます。
特に、近現代史は日本人が最も知識として必要な歴史であるにもかかわらず、学校で学ぶことは少ないですからね。
社会に出てから、少しずつ近現代史を知るとその奥深さに更に引きつけられます。
> 台湾時代には結構読み漁りました。司馬遼太郎の『台湾紀行』は今でもバイブル的存在です。
> 孫文が辛亥革命で中華民国の臨時政府を立ち上げたのが中国南京ですが、今私がその地で1年以上も働いているのは何か因縁のような気もします。
> 南京の中心部の大きなロータリーには『孫中山先生』の銘が有る高さ6、7mは有ろうかと言う銅像が立っています。台座を入れるとその倍は有るでしょうか。
> 孫文が亡くなったあとは蒋介石がそのあとを引き継いで行くんですが、この時代も歴史の『…たら、…れば』によっては、全く違う世の中になっていたんでしょうね。なんだか感慨深いものが有ります。