台湾の台中市新社区で開催された「山岡栄」先生の慰霊祭について、台湾現地からレポートします。
慰霊祭の翌日の自由時報という台湾の新聞に掲載されていた報道を紹介します。
山岡栄と言う日本人の方の話は、台湾でもあまり知られていないかもしれません。
それ以上に、日本では更に知られていないかもしれませんので、少しだけ84年前に話を戻して、過去の事実を確認しておきます。
山岡栄先生の話
1930年、つまり80年以上前に日本の愛媛県中山町(現在の伊予市中山町)から台湾の東勢農林国民学校(現・台中市立新社高校)に赴任したのが山岡栄先生でした。
故郷の愛媛県に子供2人と妻のお腹の中にもう一人の子供を残して、赴任した時期は1930年1月のことでした。
そして、その年の5月9日、大雨が降っている中、赴任していた学校の近くを流れる川は増水していたとのことです。
そんな中、川の中州に取り残されてしまった子供たちを救うために川の中に飛び込んで救助しようとしたところ、川の流れの勢いが強かったため流されて殉職してしまったという悲しい物語です。
山岡栄先生の慰霊祭
この慰霊祭は毎年5月初旬の時期に行われているとのこと。
2014年は5月10日に行われました。
今回は、愛媛県伊予市中山町から親族の方々と故郷の関係者も来台されました。
日台双方の関係者が一同に台湾台中市新社地区の殉職地および殉職山岡先生之碑を訪れての開催となりました。
山岡先生の孫娘の方も新聞に掲載されていましたのでアップしておきます。
台湾での日本統治時代の日本人の活躍
山岡先生の話に限らず、台湾では約50年間ほど日本が統治していた時期があります。
そのため、このような台湾の地での日本人が関係する多くの活躍や逸話が存在していることでしょう。
台南の烏頭山ダムを建設した八田與一技師や台中市内の白冷洲地区に逆サイホン水路を建設した磯田謙雄技師の話もその一部でしょう。
台湾には、まだまだ日本人には知られていない日本統治時代の日本人にまつわる歴史が多くありそうです。
故山岡栄先生の慰霊祭は、毎年5月上旬頃に催されます。
この時期に台湾旅行をされる方は、出発前に下記記事を参考にしてみて下さい。
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