台湾では毎年2月28日は和平記念日として祝日になります。厳密には、台湾の中国語では「和平紀念日」と書きます。和平は日本語では平和の意味を示しますので、平和記念日ということになります。
どの国にも、祝日には特別な意味があるはずですが、和平記念日は何のためにあるのでしょうか?
そんな疑問を持つ方もいることでしょう。実は私も台湾に来る前まで、和平記念日の詳しい事情を知りませんでした。
台湾に移住して、台湾人の方や台湾に来ている日本人の方と話をする度に、台湾のことについて無知である自分を実感します。
直感的には、和平記念日と聞くと平和を記念する良い日だ、あるいは過去に平和に関することがあったからだと思ってしまいますね。
そこで、今回は台湾の和平紀念日の謎に迫ってみたいと思います。
和平記念日と二二八事件の関係
2月28日の和平記念日は過去に起きた二二八事件に由来します。
二二八事件とは何か?
二・二八事件(にいにいはちじけん)は、1947年2月28日に台湾の台北市で発生し、その後台湾全土に広がった、当時はまだ日本国籍を有していた本省人(台湾人)と外省人(在台中国人)との大規模な抗争。約40年後、戒厳令の終了と政府側の遺族への謝罪によりようやく終結した。
1947年2月27日、台北市で闇煙草を販売していた本省人女性に対し、取締の役人が暴行を加える事件が起きた。これが発端となって、翌2月28日には本省人による市庁舎への抗議デモが行われた。
しかし、憲兵隊がこれに発砲、抗争はたちまち台湾全土に広がることとなった。本省人は多くの地域で一時実権を掌握したが、国民党政府は大陸から援軍を派遣し、武力によりこれを徹底的に鎮圧した。
(引用元:wikipedia)
形式的には、二二八事件の構造は本省人(元々台湾にいた台湾人)と外省人(戦後中国から来た国民党側)との国内紛争なのだが…。
簡単に言うと、一般庶民vs腐敗した国民党政府(当時)の内戦で武力で鎮圧しようとする国民党政府に対する市民の抵抗という構図で28,000人が殺害や処刑で命を落としたとされていますが、実際には更に多くの方々が被害にあったとも言われています。
今では考えられないような、北朝鮮にも増して、当時の国民党政府は残虐なことをしていたと伝えられています。
その当時、国民党政府を揶揄して「犬去りて豚来たる(狗去豬來)」と言われていました。
つまり、その意味するところは、うるさいが役に立つ日本軍が去って、ただ働かずに食べるだけの国民党軍が来たということを示しています。
軍事的な衝突が平和の日になるロジックとは?
と言うことで、台湾では二二八事件が起きた2月28日を和平記念日としていますが、あまりにも論理の飛躍があり、何のための祝日か未だによく分からないですね。
推測ですが、今後とも本省人と外省人が融和して、二度と衝突を起こさないことを誓い、国内紛争を避け、平和を祈念(きねん⇒記念)する日という位置付けなのだろうと思います。
なんと、台湾では李登輝総統が誕生し、社会が民主化される1980年代後半まで言論統制がされていたのです。
当時、李登輝が台湾の総統になり、法律が改正され、言論の自由が認められるようになったという歴史があります。台湾の民主化も意外にも最近のことなんだ!と気付きます。
台湾の歴史は浅いようですが、日本の教育システムの中では教えられていないことや一般的な日本人には知られていないことが多いということをつくづく実感しています。
台湾の歴史と日本や日本人は密接に関わってきたため、今後、少しずつ勉強していこうと思います。
和平記念日の2月28日の祝日の現地の状況
一般市民の目線で、2月28日の和平記念日を観察してみると、特別なことを国全体で開催するということはありません。
国民党の馬政権の時期には、街の大通りには、台湾の国旗で飾られる程度のことはあります。
そして、平和を祈念した政府関係者の式典が行われるのみで、特に台湾市民が何か関わるようなことは全くありません。そのため、学校や企業が休みになるため、観光スポットへ出かける人が多くなる程度です。
日本的に言えば、文化の日のようなポジションになります。たぶん、台湾の子供たちは和平記念日の由来も詳しくは知らないことでしょう。そして、日本の子供たちも文化の日の由来を詳しくは知らないことでしょう。
そのような意味で、台湾では和平記念日は単なる祝日で学校や会社が休みの日という位置付けのように感じます。
コメント
228事件の事を語ると悲しくなりますね。
台湾の悲しい事件ですね。今もキーロン港にはたくさんの
骨が海の底に有るのではと、言われています。
台湾の日本語詩集を読んだことが有りますが、228事件で
帰らぬ息子を嘆いている母の心情を読んだ詩が有りました。
台湾の平和がいつまでも続きますように。
二二八事件などの詳細な内容は台湾に興味のある方でないと分からないでしょうね。
事件の全容自体、その当時は公にはされず伏せられていたこともあるのでしょうが…
> 228事件の事を語ると悲しくなりますね。
> 台湾の悲しい事件ですね。今もキーロン港にはたくさんの
> 骨が海の底に有るのではと、言われています。
>
> 台湾の日本語詩集を読んだことが有りますが、228事件で
> 帰らぬ息子を嘆いている母の心情を読んだ詩が有りました。
> 台湾の平和がいつまでも続きますように。