日本語教師を目指している方へ!適性がありますか?|2年間の経験より

日本語教師の適性 コラム

主に、日本語教師を目指している方に対して、日本語教師としての適性があるかどうか、という点について、台湾の日本語教育現場からレポートします。

ようやく、6月末を向かえ今学期も終了して、私の日本語教師としての2年間が終了しましたので、この2年間の経験を元に日本語教師の適性について、簡単にふり返ってみようと思います。


 

日本語教師になるための適性とは?

・言語に限らず教えることが好き
・異文化や日本文化に興味がある
・日本語を含めた外国語に興味がある
・言葉以外のコミュニケーション能力が高い
・ホスピタリティー能力が高い
・異文化受容性や適応性が高い

書籍やインターネット上の情報をまとめると、上記のような性格や能力がある方は、日本語教師に向いている人だという意見が多いです。

 

自己分析してみよう!何に興味関心があるか?人と接する時の行動は?

確かに、人に教えることが嫌いな人が教師になることはないでしょう。また、外国人に日本語を教えることを考えれば、それらの外国の文化や言葉だけではなく、日本の文化や日本語に興味がない人が、日本語教師になることもないでしょうね。以上は、興味関心に関する適正ということになります。

そのほかに、性格的な能力について、圧倒的に必要だと思われるのは、コミュニケーション能力になりますが、言語を介してのコミュニケーション能力はもとより、非言語的なコミュニケーション能力も重要だと思います。例えば、常に笑顔で対応したり、出来るだけ生徒に対して関心を持ってあげることなどです。具体的には、生徒が散髪したり、脚に包帯を巻いていたり、顔色が悪かったりしたら、積極的に反応してあげる、など最低限関心を持ってあげることなどでしょう。

一般的に、ホスピタリティー能力は、他の外国人と比べると日本人は低い方だと思います。私も台湾に来て数年が経過しますが、台湾人のホスピタリティー能力の高さに驚かされてきました。ホスピタリティー能力とは、言い方を換えれば、「他人への面倒見が良い」性格と言えるかもしれません。具体的には、道で困っていたら、困っている人が笑顔になるまで面倒を見てあげることなどです。逆に、人が困っているのを見て、嘲笑しているような人は、あまり日本語教師には向いていないかもしれません。

最後に、異文化適応能力や異文化受容性が高い人は、日本語教師に向いていると言われています。逆に言えば、日本人の考え方や日本文化の素晴らしさだけを強調し主張するようなタイプの方は、日本語教師の適性が低いかもしれません。元来、生きてきた環境が異なれば、価値観、文化、考え方など全ての面で、異なるものです。そのような前提を全て受け入れられるような寛容性がある方は、日本語教師に向いているのかもしれません。

 

あなたは本当に自己分析出来ていますか?

ここまで世間一般的な認識で、日本語教師に向いているタイプの人の特徴を挙げてきました。上記のような適性を、ここまで持ち上げておいて申し訳ありませんが、上述したような性格的な特徴は、「日本語教師養成コース」受講のための業者の謳い文句の側面が強いと思います。

日本語教師の適性について書籍やネットで検索して情報収集している方の多くが日本語教師を目指している方でしょう。そうなれば、そのような方は、必然的に、上記のようなタイプに自分が「当てはまるかどうか」ではなく、「当てはまらないかどうか」というフィルターを掛けた基準で自己分析してしまいます。

具体的には、「言葉に限らず教えることが好き」という項目を取り上げてみれば、そもそも教えることが嫌いな方は日本語教師という職業に関心を向けないでしょう。また、例えば「ホスピタリティー能力が高い」という項目では、ホスピタリティーが必要な仕事(フライトアテンダントや旅行添乗員など)をしていた方以外は、自分のホスピタリティー能力が高いのか低いのかを自己分析をすることは難しいでしょう。その結果、ほとんどの方は「適性がある」という結論を出すように、仕組まれているようにさえ感じます。

 

海外の教育現場から見えてきたことと国民性の違い

ここからは、日本語教師としては素人同然だった私が2年間、日本語教育という現場に立った結果、自分自身に日本語教師の適性があるのかどうかを自己検証するという意味でふり返ってみようと思います。その上で、私が考える日本語教師に本当に必要な適性や日本語教師に向いているタイプを考えてみたいと思います。

日本語教師とは日本人に日本語を教えるということではなく、外国人に日本語を教えるということ・・・このことを本当の意味で理解していませんでした。話は少し逸れますが、日本人は合計9年間の義務教育で、首尾一貫して徹底的に躾の教育が行われています。そのため、時間の遵守、約束の遵守、組織の調和などのことは、無意識の内に身に付いているものです。この日本人としては常識だと思っていた考え方は、海外では通用しないかもしれません。

日本語教師は日本語を教えるということの前に、外国人の考え方、価値観、行動様式のようなことを理解しておく必要がありそうです。例えば、私が台湾移住当初、通学した中国語学習のための大学附属語学学校では、ほぼ毎日、宿題を出されましたが、毎日忘れずに真面目に宿題をしてくるのは日本人と韓国人くらいでした。また、様々な場面で約束時間をキチンと守るのは日本人くらいでしょう。

 

日本語教師の現場から分かった本当に必要な適性とは?

台湾人は、日本人の私から見ると、よく言えば「自由」そのものです。悪く言えば、あまり時間も守らなければ、宿題を出しても、予定通り宿題を提出する学生は、かなり少なかったりします。

このような問題は、国民性の違いに起因するのかもしれませんが、当たり前だと思っていたことが、想定外の方向へ行った時には、やはりストレスが溜まるものです。特に、海外在住の日本語教師の場合は、このような小さなストレスが積もり積もっていくわけです。

さらに、学生には出席率が低かったり、無断遅刻や無断早退が多ければ単位を与えないとハッキリと伝えているのにも関わらず、平気で休んだり、無断で遅刻や早退をしたりします。日本人の常識で対応すると、例え外国人がそれ程悪いことだと思っていなくても、そこに日本人と外国人の間にズレが発生します。

あるいは、授業で重点的に教えたことを、テストで試してみたら、半分程度の学生しか理解できていなかったりした時(これは私の教え方にも問題がある)なども、ストレスを感じるものです。たぶん、上記で挙げている「異文化受容性や適応性が高い」という項目は、このことを示しているのだと思います。そのような「ストレス」を感じやすい方は、日本語教師には向いていないのかもしれません。

 

実は日本語教師に適性は関係ない!?

最後に、自分が日本語教師に向いているかどうかを自己分析してみると、上記で挙げた一般的な適性の項目については、半分以上当てはまっていないことに気が付きました。そして、日本語教師の教育現場から私が最も強く感じた日本語教師の適性の一つだと思う「ストレス耐性」についても、かなり低いのだろうと感じています。

そんな私でも、台湾の大学で日本語教師を2年間も続けられたということは、日本語教師を目指して頑張っている方、あるいは、これから頑張ろうと思っている方であれば、初心を忘れず熱意を持ち続ければ、適性はあまり重要な要素ではないのかもしれません。元々、日本語教師を目指そうと思っていなかった私は、初心もなければ、熱意もありませんが、それでも何とか続けられています(自虐!)。

 

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