AI(Artificail Inteligence/人工知能)が発達すると10年後には約50%の仕事がAIに取って替えられてしまうという話が話題になっていますね。
そうなると、現在の仕事量が減り仕事が楽になると考える人もいれば、仕事がなくなってしまい失業してしまうと考える人もいることでしょう。
今回は日本語教師という仕事に焦点を当て、AIの発達による日本語教師への一般的な影響と私が日本語教師の現場から感じるAI発達後の日本語教師への影響を考えてみました。
また、10年後も日本語教師として輝き続けるため、将来の日本語教師に必要な能力や知識について簡単にご紹介します。
AIにより消えていく職業と生き残る職業
AIにより消える仕事の3分類
[table “109” not found /]
(参照元:野村総合研究所の資料を加工分類)
いや~スゴいですね。10年後にはこんなにも多くの仕事が無くなり、過去の仕事に対して無駄な作業をしていたんだなという時代が来るのですね。
上記の通り、AIの発達により10年後には、人間が作業をすると言う意味では人手の必要がなくなる職業が多く挙げられています。今後、AIに取って替えられていく職業の特徴の共通点を考えて見ましょう。
- 単純な労働作業
- 単純な事務作業
- 人間の特別な判断が必要ない仕事
- 人間の感情が介入しない仕事
- 複雑な創造力が必要ない仕事
10年後も生き残る仕事の5分類
[table “110” not found /]
(参照元:野村総合研究所の資料を加工分類)
10年後も生き残る職業を、専門的職業、クリエイティブな職業、教育的な職業、管理的な職業、相談的な職業の5つに分類してみました。
AIの影響を受け消える職業とは逆に、10年後も必要とされる職業の共通点は、上記のような仕事の特徴の反対の要素があるものになっています。
その中で、日本語教師と言う職業はAIには取って替えられない、生き残る職業の部類に区分されています。その理由を考えてみると、いくつかのポイントが頭に浮かびます。
- AIが人間を教育するのは難しい
- 学習者の目的も目標も個々人で異なる
- 教育は正誤の判断だけではない
- 教育には人間の複雑な感情が介入しやすい
- 教育は学習者の能力を最大化させるクリエイティブな作業
このように考えると、AIが日本語教師の職業を奪うような未来は考え難いというのが結論になります。
学習者視点から日本語学習の本質を考える
上記のように、日本語教師と言う仕事に関しては、AIがその役割を担うような時代は近い将来には訪れないだろうと考えられています。それにもかかわらず、私はAIにより日本語教師が必要がなくなるか、その需要が低下すると考えています。
海外の大学で日本語を教えた経験から、日本語教育の実態とその経験から学んだ外国語学習の意味を考えてみましょう。ある授業で、授業中に一つのテーマに関して日本語で簡単にまとめる課題を与えました。
ほとんどの学生が最初は自分の頭で自力で考えようとしていましたが、時間が経過するにつれて、スマホをいじり始め、最終的にはほとんどの学生がスマホで検索し、課題の答えを探し、分からない日本語をスマホのアプリで翻訳しているようでした。
(もちろん、大学の授業では基本的にスマホの使用は禁止されていますが、私の授業では条件付きで使用を認めています。)
上記の例から私が学んだことは、学習者にとって外国語を学ぶ目的は大きく2つあります。一つは外国語(日本語)そのものを習得して言葉の障壁なく自由にその国(日本)の人とコミュニケーションをとること。
もう一つの目的は、言葉は単なるコミュニケーションツールの一つとの考え。例えば、自分と言葉の間にスマホという翻訳機能(これもコミュニケーションツールの一つ)を挟むことでコミュニケーションを可能になります。
つまり、自分が流暢な日本語を話せなくても、相手が話している言葉が理解できなくても、有効なコミュニケーションツールがあれば言葉の壁は乗り越えられるわけですね。この場合、より重要なことは「何を相手に伝えようとするか?」のコミュニケーション内容になります。
つまり、言語習得は言葉をコミュニケーションツールとだけ捉えた場合、今でさえスマホがあれば外国語を苦労して学習して難しい外国語を習得する必要がないことを、私は上記の経験から学びました。
ましてや、10年後にAIが発達すれば、言語が異なる外国人と外国語が全く理解できなくても、フリートークが楽しめる時代が来ることでしょう。
AIにより日本語教師が必要なくなる理由とは?
それでは本題に戻りますが、AIの発達により日本語教師の存在はますます薄くなり、世の中には必要がなくなるか、需要が低下する理由に関して考えてみましょう。
- 日本(海外)に行って不便なく旅行をする
- 日本の企業とスムーズに交渉をする
- 日本語で書かれたサイトを理解する
- 日本語のアニメを見たり漫画本を読む
- 日本語のテレビ番組や動画をリアルタイムで楽しむ
上記は、日本語学習者が日本語を学ぶ動機や理由の主な事例です。これらの事例は全て「言葉=コミュニケーションツール」の法則が成り立つものばかりです。
逆に「言葉=コミュニケーションツール」の式が成り立たない例としては、お笑い芸人のボケとツッコミ、落語家のオチ、俳句や短歌あるいは詩に込められた人間の心や感情などを表現する場合はどうでしょうか。
この場合は、外国語としての日本語は単なるコミュニケーションツールではなく、言葉の裏側にある言語文化や歴史などを応用した言葉遊びの側面が強いですね。
言語学習の目的が単なるコミュニケーションツールに特化された場合は、最低限、相手に自分の伝えたいことが伝わり、相手の言いたいことが理解できれば問題ないわけです。
今でさえ翻訳アプリを使用すれば外国人とのコミュニケーションが何とか可能な状況ですが、10年後にAIが発達すれば言語のボーダレス化は簡単に想像できます。
つまり、「AI」と掛けて「日本語教師が必要なくなる」、そのココロは「日本語学習者が減少する」です。
ちなみに、台湾では少子化問題の影響を受けて、大学生そのものの絶対数が減少し、それに加えて、外国語(日本語)に魅力を感じる若者も少なくなっている(?)ため、日本語学科の学生は減少傾向です。
10年後に日本語教師として輝き続ける為に…
私の結論としては、10年後には日本語教師の仕事の絶対数は減少していくものと推測しています。それでは、10年後に日本語教師として生き残っていくためにはどうすればよいか、を考えてみます。
日本語教師として働いている方の多くが実感していることだと思いますが、日本語学習者にとっては日本語という言語そのものよりも、日本に関する「何か」に関心があり、日本語にも興味を持ったため学習し始めるというケースが多いです。
大学生などの若者の中で、最も多い日本語学習の切っ掛けは「アニメ」です。日本のアニメ文化は世界でトップクラスの需要があるのではないでしょうか。
このことから学ぶべきことは、日本特有の文化やサブカルチャーに関して、海外の需要を掘り起こすことが重要だということです。
海外で生活したり、外国人と接していると、「日本人がアピールしたい日本文化」と「外国人が関心を抱いている日本文化」にはギャップがあることに気付かされます。
ズバリ具体的に言えば、外国人が興味を持っている日本文化は「茶道」「華道」「能」「日本舞踊」ではなく、圧倒的に「アニメ」「寿司」「ラーメン」「忍者・侍」なんです。
海外で日本語を教える日本語教師、あるいは日本で外国人に日本語を教える日本語教師の方で、どれくらいの方がアニメ、寿司、ラーメン、忍者、侍について深く熱く語ることが出来るでしょうか。
茶道をはじめとした伝統的日本文化について、海外の日本語学習者に教え日本の歴史を一つを伝えるのも重要ですが、「お客さんのニーズ」を適確に捕らえ、日本語教師に付加価値を付ける発想も、今後10年後の日本語教師には重要な視点だと思います。