家族で台湾へ海外移住

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1日15時間の長時間労働の超ブラック企業勤務から学ぶ働き方とワークライフバランス

      2017/06/30

私は20代の頃、1日15時間勤務の超絶なブラック企業で働いていたことがあります。なぜ、そのような会社で働くことになったのか、その企業での勤務実態はどのようなものであったのか、そのような企業で働いた経験から学んだ、より良い働き方とは何か、また過酷な労働条件の下では考えも及ばない「ワークライフバランス」について、過去の自分が考えていたことと今の自分が感じていることを簡単にご紹介します。

 

入社前から知っていた長時間労働でもブラック企業で働く選択をした理由

「学歴不問 年収500万円以上保障 週休2日 事務職」
ハッキリと詳細を覚えてはいませんが、求人雑誌に掲載されていたキャッチコピーは上記のようなものだったと記憶しています。

その当時、大卒初任給の年収は約250万円程度だったと思いますので、上記の募集案件の年収はちょうど2倍くらいです。事務職で週休2日で年収500万円と言う条件を見て、少し怪しいかなと思いながらも、その当時、私はどうしてもお金が必要だったため、応募してみることにしました。

私がどうしてもお金が必要だった理由は、海外の大学院へ本留学をしたかったからです。実は、大学卒業直後にアメリカへ1年間の語学留学をして帰国したのですが、日本帰国後は地方では英語が活用できるような仕事が中々見つからず、悪戦苦闘の生活の中で、もう一度、本格的に海外留学をして新しいキャリアを積む礎にしたかった訳です。

そのため、とにかく仕事内容は度外視して、2年から3年間程度の比較的短期間で貯金ができるくらい年収が高い、あるいは歩合制の仕事を求めていました。そして、面接時にはストレートに「お金を稼ぐために高待遇の会社で働きたい」という旨を面接官に伝えたことを覚えています。

そして、その面接で勤務時間は早朝から夜遅くまでで、長時間のために高い年収が得られるということを告げられました。そのため長時間労働は、面接時に知った上で入社の希望を伝えました。面接では支店長との一回だけの話し合いで、その場で即日にて内定を貰いました。そして、その面接の翌週の月曜日が入社日となりました。その日が私にとって金儲けのためだけの地獄の日々の始まりでした。

そして、その企業は日本では誰でも知っているような大手の運送会社です。入社してから気が付いたことですが、その会社で働いている多くの方は、私のようにお金を貯めるために働いている方が多くいました。実際には、お金を貯めて将来の目標を叶えるために働いている人と借金を返済するために働いている方がいました。いずれにしても、お金のために朝から夜まで労働力を提供するという無機質な働き方をしている人が非常に多かったわけです。

 

ブラック企業の勤務実態を暴露してもいいですか?

ある意味割り切って、目標金額を500万円と決めてその金額に到達した時点で退職をする予定でいました。そのため、仕事中はどんなに辛い状況に立たされても、あと何年、あと何ヶ月という気持ちを持ち続けることで、何とか仕事のストレスを外部に逃がしていたように感じます。

今でさえ、ブラック企業はマスコミなどで声高に叫ばれるようになりましたが、その当時はまだそれ程、コンプライアンス(法令順守)、コーポレートガバナンス(企業統制)や企業の社会的責任あるいはワークライフバランスなどという考え方が社会には浸透していない時代でした。

そのような時代背景のため、その会社側からすれば、一般的なサラリーマンと比べると高給取りなのだから、給料に見合った仕事をするのが当たり前だという発想が店長以下、管理職、平社員にまで浸透しているような状況でした。

恐ろしいことに、自分の出勤時間は自分で決めるという暗黙の了解があり、退社時間も、運送会社であったため荷物の出荷作業が終わった時に全員が退社できるという暗黙の了解も会社内に醸成されていました。

具体的には、早朝6時半が私の出社時間になりました。というのは、他の従業員も概ね6時半までには出社していたため、7時頃に出社すると、「もっと早く出社しろ!」とは言われないが、「今日は道路が渋滞だったのか?」などとつぶやかれてしまうようなこともありました。実際には、田舎の道路で、しかも6時台の時間で、渋滞など起きようがないのですが・・・。暗に、出社時間も半強制的に決められたようなものです。

そして、退社時間はと言うと、運送業のため集荷してきた荷物を全て集荷場から出荷し終わった時間になります。そのため、必然的に年末や決算期末などの繁忙期は退社時間はかなり遅くなってしまいます。

普段の退社時間は、夜10時過ぎ頃に退社できれば早いほうでしたが、繁忙期は深夜0時を過ぎるのが普通でした。そして、最も遅かった時は、深夜2時過ぎでした。このような日は、さすがに寝る時間もなく、只ひたすら時間との競争をしているような感覚に陥ったことがあります。

それと、昼休みはあってないようなものでした。事務職の従業員の人数も限られていた上に、昼休みの時間でもお客さんが来客したり電話対応があるため、輪番で昼食を取っていた状況でした。そのため、昼休みも事務職の従業員で申し合わせたように約20分程度で昼食をかっ込むだけの休憩時間でした。

その当時はあまり意識したことはなかったのですが、少なくても早朝6時半から夜10時頃までは仕事から離れることができず、昼休みは20分程度のため、毎日の勤務時間は少なく見積もっても、実働時間は15時間でした。それに繁忙期は最大で深夜2時頃まで働いたことがありましたので、最も長い勤務の時は19時間以上だったということになります。

また、当初、週休2日制だと思っていた休日は、実際には隔週2日制でした。日曜日と土曜日か平日の休みが隔週毎にあるはずでした。ところが、実際には、仕事が積もり積もっている中で休むことは許されないという雰囲気が社内に出来ており、毎週ほとんど日曜日だけしか休むことが出来ないような状況が続きました。このような会社は仕事が好きな人には夢のような会社です(笑)。

 

長時間労働以上に過酷な仕事内容とは?

ただ単純に勤務時間が長い職場は世の中には無数にあると思います。それどころか自宅にいるより職場にいたほうが居心地が良いという上司がいたりするため、その部署の勤務時間がダラダラと長くなり仕事の効率も全く上がらないという従来のワークスタイルが続いている会社も多いのではないでしょうか。

仕事は長時間の残業をしたものがハードワーカーではなく、如何に短時間で効率的に仕事を処理することが出来るか、あるいはそのような仕事を生み出すことが出来る方が本当のハードワーカーだと思います。そして、自分の仕事が終わったら、周囲の同僚や部下への配慮をして、部署内全体の仕事をより効率的に回していくか、その結果、部署内の全員の負担を軽減して時間内に仕事を終わらせることが出来る人が真の「出来る」人でしょう。

ところが、その当時は自分の技量不足なのか、社内のSOPさえもない崩壊した職場のせいなのか、いくら時間があっても仕事は積もり積もっていくばかりでした。そして、何よりも、私に与えられた半分以上の仕事はクレーム処理でしたので、精神的負担はかなり重いものでした。多くの場合は、クレーム案件に怒り心頭のお客さんが電話越しに怒鳴りつけてくるものばかりです。

毎回の電話では、「客をなだめる → 状況を聞き取り調査 → その後の対応を説明する → 客に理解してもらう → 再び怒り出す( → 客をなだめる → 対応を説明する) → 客に理解してもらう」と言うプロセスで、「客の怒り→なだめる→対応説明」は無限ループすることが多かったです。

最終的には電話越しに激怒しているお客さんを、なだめて理解してもらうことが私に与えられた役割でした。そのため、1日に15時間以上勤務していたにも関わらずストレスで若干太ってしまっていました。仕事を始めた当初は、心の中で半泣きになりながら働いていました。

上司にも苛酷な仕事内容のため、何らかの改善策を求めて相談したことがあったのですが、逆に仕事のやり方が悪いと怒鳴られたり、抽象的な精神論ばかりで話にならない方たちばかりでした。お客さんからの激怒と会社の上司からのプレッシャーのサンドイッチ状態で日々ストレスが積みあがっていくような職場でした。そのため、ひたすら、貯金が出来るまで我慢して、時間が過ぎ去った後のことを妄想してストレスを別のところへ向かわせていました。

 

500万円貯金に成功して病気発症直前で退職

週休が隔週2日もない状況でこのような精神的負担が大きい仕事を続けているとストレスで病気を発症してしまうか、電話でのやり取りだから、相手がどれだけ怒っていても殴られることはないと無神経な意識で仕事に慣れてしまう人もいました。そのような人は仕事に対しても無責任で、上司から怒鳴られても平気な顔をしていられる人でした。私はどちらかと言うと、(ほとんどの人と同じように)ストレスで病気になってしまう方でした。

そして、約2年間弱(実際には1年半程度でしたが)の勤務期間中に貯金額が目標の500万円を越えました。その時、働き始めて初めて肩の力が下りたのを覚えています。そして、いつでも辞められるという安心感が先立ち、上司からプレッシャーを掛けられるタイミングを見計らっていました。

そして、ある日、上司から冗談とも受け取れないような個人批判を受けた時、思い切って退職する旨を暗にほのめかしてみました。その後を境に、その上司は私には、あまりプレッシャーを掛けてこなくなってきましたが、この仕事をする目的も達成して、既に私の仕事への情熱は冷め切っていましたので、慰留もされましたが退職することにしました。

 

より良い働き方とワークライフバランス

今思い出すと、ワークライフバランスなどという言葉の「ワ」の字もない働き方をしていたことが思い出されます。早朝、会社に出社するのが嫌で嫌でしょうがなかったのですが、同じ部署内で働く方に迷惑は掛けられないため、無断欠勤はゼロでした。それどころか、風邪を引いて体調が悪い時でさえも、その当時は若かったこともあり、なんとか乗り切っていました。

そして、勤務中もお客さんや上司から激怒され怒鳴られる度に、精神的にも体力的にも消耗していくのを実感していました。本来であれば、3年間くらい勤務する予定でいたのですが・・・。そして、退社時間は早くても22時過ぎの退社時間で、22時半から23時頃になる日が多かったのを覚えています。

それから自宅に帰り晩飯を食べて、お風呂に入って寝るだけです。翌朝、目覚まし時計で目が覚めたら、嫌々出社をするという日々の繰り返しでした。唯一、心の支えになっていたのは、仕事が遅く終わって帰っても、母親が晩飯の準備をして待っていてくれたことと、朝早くから朝食を準備して送り出してくれたことだけでした。深夜遅く帰った時でも、母親は眠い目を擦って晩飯を準備してくれました。今思い出しただけでも、感謝の気持ちで涙が出てきます。

もう、あのような働き方は二度としたくはないです。つまり、長時間労働の中で、尚且つ仕事のストレス・精神的負担が重い仕事はコロゴリです。本来、仕事とは生活の一部をなすもので、生活の大半をなすものではないはずです。

お金のために過酷な仕事を選んだ私の自己責任ではあるのですが、今思えば将来に繋がるスキルや技術が積み重なっていく仕事をすべきだったと強く感じます。お金が積み重なっていく仕事を選択するのではなく・・・お金はいずれ使ってしまえばなくなりますが、スキルや技術は時間がたってもなくなることはないのですから。

 

生活の大半が仕事という色で塗り潰されている方へ

その中で、仕事が生活の中に自然と溶け込んでいるような生活スタイルが最も理想的だと実感します。残念ながら、昨今では仕事に追い込まれてしまい命まで落としてしまう時代になりました。その点、私は辛うじて心の病を発症する前に、幸いにも当時勤めていた会社を退社することが出来ました。

生活の中で仕事の比重が重くなり過ぎてしまった方は、ストレスを抱え込み過ぎ、うつ病になってしまう前に、立ち止まって考えてみてはいかがでしょうか。ワークライフバランスと言う観点からすれば、「仕事は人生の只単なる一つの点でしかない程度の小さなものだ。」と言うことに気付いてもらいたいと思います。

心身を害する前に一度自分の人生を振り返って、今後の人生を設計し直す時間を作れば、新たなチャンスと良き転機に巡り合うことが出来るかもしれません。日々の仕事が忙しくても、平日・土曜日は日中だけでなく夜間もご相談に乗っていただけます。

下記より、ご登録いただけると、それぞれの事情に合った丁寧な相談が受けられます。



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